美味しくないという評価について
評価というものが存在する いつ誰が決めたものかは分からないけど昔から脈々と受け継がれてきたものだろう 僕も様々な場面で「良い」も「悪い」も評価されてきている 最近そんな評価について「はて?」と思うことがあった。 「美味しくない」という評価は果たして存在するのか。 いやいや、そんなもん 美味しくないものは美味しくない に決まってるじゃない と、みなさん言うでしょう。 でもその「美味しくない」は誰かにとって「美味しい」からそこに存在しているのです。 ファーストフードが美味しいと感じる人もいれば→Aグループ オーガニックフードが美味しいと感じる人もいる→Bグループ これだけではなく、 Aグループにはオーガニックフードが 美味しくないと感じる人もいるし 美味しいと感じる人もいる Bグループにはファーストフードが 美味しくないと感じる人もいるし 美味しいと感じる人もいる これらが共存している限り 「美味しくないと言う絶対評価は無い」し逆に 「美味しいと言う絶対評価も無い」 ということにならないか? そもそも味覚というものは、年齢や経験で変化するものだし 味覚という感覚だけで好き嫌いを決めるのではなく その人のバックグラウンドにある趣味・嗜好・思想で大きく変わる。 同じ趣味・嗜好・思想を持っていても同じ味覚はあり得ないだろう。 そんなあやふやな味覚という概念を全員の一致のように評価するシステムは一体全体何を根拠に成り立っているのか。不思議に思った。 そしてなぜ僕がこんなことを書こうと思ったかというと そもそもお店としてやっていて「美味しくないものを作るのは難しい」からだ。 偉そうに俺の作るご飯はうまいだろ!ガハハ!って話じゃなくてそもそも料理は美味しいものを作ると言う大前提で成り立っているのです。 誰しも無意識に美味しいものを作ろうとしてる からなのです。 個人の方で料理が苦手でおいしくないものを作ってしまった(間違えて作ってしまった)場合は今回は除外する。 そして苦手な方は「下手」なのではない。たまたま間違えちゃっただけなので気にせず楽しく作って欲しい。間違えは誰にでもある。 昨今、大抵の食に関する評価はお店に向くものだ。 そんなお店が作っているものが「美味しくない」可能性は天文学的数字の話なんじゃ無いだろうかと思う。 (※話がややこしくならないよう今はあくまで個人店としてと