懐かしベトナム
今年も鹿のツノの時期になってきた(採取旅)
過去の鹿データ探してたらベトナムの写真が出てきたのでシェアしたいと思う
なんやかんや旅のブログを書いてる時期があったのだがベトナム編は長いし自分の中でも大事な思い出だったのかブログにできずにいた
久しぶりに写真を見たら、もう供養してやろう(世間的にも自分的にも)と
「どうだ!こんなに面白いことしてきたんだぞ!」と自慢みたいな事にならないよう淡々と写真を並べてつらつらと文字を入れるだけにする
なるべくベトナムの生活や文化がわかったり、ただ単に笑えるようなことをあげていくので読んでくれた人が楽しんでくれたら幸いだ
もう8年くらい前の話だがベトナムに行った
過去に何度も行ってる人の手伝いとして半分仕事、半分遊びくらいの旅だった
期間は3週間弱
ほぼ毎晩人の家に行って晩御飯をたらふく食べて帰る
お腹なんて壊さず毎日大量に食べて大量に出すそんな旅となった
2014年2月 ベトナム ハノイ
空港を降りてすぐ連れられて行ったのは結婚式
もちろんベトナム初めましての私は誰一人知らない
周りは特に気にせず歓迎してくれたしご飯はむちゃくちゃうまかった
そもそも村中の人が集まってるらしいので誰が誰とか関係ないらしい
勝手に入って勝手にただ飯を食らい帰る
結局新郎新婦が誰だかも覚えていない
覚えているのはご飯と席を用意してくれたおばあちゃんの顔
そのまま世界遺産のハロン湾に行った
調べてもらえればわかるがもっと爽快に晴れていて綺麗らしいがしっかり曇っていた
そこには四代目火影がいた
ハロン湾近くにある鍾乳洞を見に行ったがキャバレーのごとく照らされており文化の違いを感じる
500m間隔で10人は並んでた道端の小さな青リンゴ売り
この旅でベトナムの母となった女性が小さな青リンゴを山ほど買ってくれた
数日にわたってずっと宿で食べる始末
帰り道は遅くなったのでドライブスルーみたいなフードコートみたいなところでフォーを食べる
めちゃくちゃうまかった
英語が話せないシャイなドライバーが急にペットボトルの水を1箱(24本)買ってプレゼントしてくれる、以降水に困ることはなくなった
ハノイの街並み
有名なハノイの観光名所
ベトナムの母宅で晩御飯(写真は前菜しか写ってない)
両サイドにある皮付きピーナッツは米に入れて食べる(塩つきとプレーン)
米は日本米と同じく短くて粘りと甘味があるタイプだった
ピーナッツは以外と合う
旅2日目に食べたおやつ
この日は暑かったのだが常温で店先に置かれるカットフルーツとヨーグルトを食べる流れになる
自分でフルーツを選んで作ってもらうスタイル
内心「あ〜、ここで早々にお腹を起こすのか俺は」と思ったのでなるべく大丈夫そうなフルーツを選ぶが結局お腹を壊すことはなかった
そしてめちゃくちゃ美味しかった
壁にかけられているポテチのふくるには「Oishii」おいしいって書いてある各地にある寺みたいなとこはリッツとコーラに魂を売っていた
どこへ行ってもコーラが掲げられている
そしてベトナムはベトナム語が使われているが寺にあるものには漢字が多く使われていた
現地の人も日本人の私に漢字の意味を聞くくらいだった
不思議な現象だなと思った
観光地にいた占いのじいちゃん
カメラに気づいて目線をくれた
この後「b」ってしたらニコってしてくれた
道端の魚売り
人の家で晩御飯をご馳走になる
ここはしっかりと説明させてくれ
・外側にあるサラダは生の葉っぱ、口をリセットしたいときにかじる
・緑の汁物は暖かいきゅうりが入ったスープ、きゅうりが意外だったが鶏出汁のスープなのかめちゃくちゃおいしい
・右の揚げ物は揚げ春巻き、今後どこの家に行ってもこれが出てくるがいつでもどこでも最高においしいから一生食べてられる(フォーより揚げ春巻きのほうが多く食べたと思う)
・真ん中の液体はタレ、酸っぱ辛いタレでなんでもこれにディップして食べると最高、もちろん揚げ春巻きが一番最高
・下の白くて丸いのは自家製のハム、味は普通にハムでおいしい
野良犬
最近オープンしたトリ料理のお店らしい
真ん中のディップするソースがおいしいのでなんでも最高においしい
基本的にどこで食べてもお腹は壊さなかった
鴨の血を固めた食べ物、さすがにこれは食べなかった
鍋が出てくる、ベトナムでも〆はやっぱりラーメンだった
カフェ
ベトナムコーヒーとひまわりの種
このコンボが最高
ひまわりの種をちびちび食べながらお話しをして濃くて甘いコーヒーを少し飲むの繰り返し
テーブルも床もひまわりの殻だらけ普通に紙タバコも売っているが
カフェとかに行ったらよく置いてあるらしい強いやつ
試しに吸って見たがむちゃむちゃ辛くて重たくて死ぬかと思った
カフェ、キャンドルコーヒー
カップの下にキャンドルがあって冷めない
フルーツの盛り合わせ
緑色は青パパイヤ、硬くて甘くないため右のちょっと不思議な味のする塩をつけて食べる
近所の祭り、船が沈没寸前で水をかき出しながら歌を歌い続けていた
新潟と同じく水田だらけ
たまたまお祭りのタイミング
田んぼの真ん中の広場日本に似た屋台がたくさんでていた
手作りダーツの矢でフーセンをわって景品をゲットするやつ
日本でダーツが流行ってた頃(自分的に)だったので変なポーズで投げてめっちゃ風船をわってくる迷惑なジャップだっただろう
別の日、近所のホールで日本のサクラ祭りみたいなのがやってた
コスプレの人もたくさん、日本のアニメ漫画の展示ブースもたくさんだった
ざっくりこんな感じ
他にも田舎の学校に行ったり、都心部の博物館やショッピングモールなど行ったがまぁ割愛する
ベトナムで出会った人たちは今なにをしているのか
快くお茶でもてなしてくれたおじさん
LinkinParkが好きと分かったあの学生
日本語を勉強していたフロントの女性
そのとき繋がったFacebookで少し歳を重ねた彼らを見るが覚えてくれているだろうか
唯一ベトナムの母とその家族とは今でも交流を続けている
母の娘は中学生だった当時から英語が達者で今では日本の大学に通っている
最後に帰国前日にベットでうたた寝したら風邪を引いた
体調を崩して最悪のコンディションでも笑顔を作る当時の自分
この時着ていたユニクロのMA1は今だにどこに行ったかわからない
僕はずっとMA1を探している
ありがとうございました。
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