何もない所から文章を作ったらお店と時代の話になった
こんにちは天狗の代表です。 今手元にはパソコン1台。 携帯がないのでブログのネタもネタ探しに必要な情報収拾をする気力もない。 先ほどTwitterを見ていたらあるお店の写真があがっておりそこには簡素な椅子が写っていた。 どれくらい簡素かと言うと図工室くらい簡素だ、いやむしろ図工室より簡素だ。 図工室より簡素ということはおのずと美術室くらい簡素ともなる。 そうだあの背もたれのない椅子だ。 座面に柔らかさも曲線もなくただただ平面な座面だ。 一生床と平行な座面だ。 そんな長方形の塊のような椅子と同じくらい、いやむしろそれよりも簡素で薄い板で華奢な椅子が店舗の椅子として使われていた。 特に「なんだこんな簡素な椅子使って!お店の自覚があるのか!?」なんて事は微塵も思わなかった。 「へ〜簡素な椅子だ、手作りかな?いいな、手作りの店。」と思ったくらいだ。 そこでふと気づいたのだが最近は(手作り)でも店舗として出して許される時代になったのではないだろうか? 正直最近店を出す側の人間になった僕には昔の話はわからないが 過去は「大金叩いて綺麗なお店を出す」事が店を出す側のステータスなのではないか? しかし現代は「安く手作りでも温かみのある店を出す」事がステータスとまではいかないがオシャレなのではないだろうか? そしてそんな思考が許される時代になっていると思う。 ニコニコ動画など、知らない人は知らない世界の人間が表に出る時代から YouTubeが有名になり、YouTuberという存在が現れTVに対抗できる勢力になりつつある頃「個人が個人をみる時代になって来た」と感じるようになっていた。 TVの中の「有名人」という存在に憧れを抱きながらTVをみる時代から 自分と変わらない一般人を一般人が見て楽しむ時代に変わっている。 有名Youtuberは今となっては「有名人」であり「お金持ち」ではあるが動画を出し始めた頃は自分らと変わらない一般人なのだ。そしてその映像はいつでもみる事ができる。 個人が個人をみる時代はTVなどの娯楽だけではなく「店=仕事」にも影響し始めている。 ショッピングモールや店舗に行くのではなく、商店やお店に足を運ぶ人が多くなっているように感じる。 そこで店は不完全でもいい、手作りの店